御子と同じ姿に変えられる希望

神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。ローマ8:29~30
なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。あらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。新改訳)

神はすべてのことをご存知ですから「前もって知っておられた人」は、すべての人だといえますが、ここには恵みによって選んでくださった人々のことが言われているのです。これは愛の対象として選ばれたということです。そして愛の対象として選んでくださった人を、イエス・キリストのかたちと同じ者にしようと定めてくださいました。これは文字通り自分の子供として迎えてくださるということです。
現在私たちは、この世にあって様々な出来事に直面し、苦難や試練を経験することもありますが、そのすべては未来のためにあるのです。人生はマラソンにたとえられますが、マラソンを走る人たちは、そのレースに備えて訓練を重ね、コンディションを整え、ゴールに向かって走るのです。
そのマラソンレースでどのような結果になるのかは、ゴールした後にしかその結果は分かりません。そのように私たちの人生の未来がどうなるのかはまだ見えていないのです。しかし、見えていなくても神の約束を信じて、その希望を持って今を生きることが信仰なのです。
神がアダムとエバを創造なさったとき、人は神のかたちに似せて創造されましたが、未来においては似せてではなく、同じかたちを持つ者、同じ本性や属性を持つ者にしようと考えておられるのです。
ですから、今の私たちのように罪があり、弱さがあり、苦しみや労苦があり限界がある、そのような者ではなく、神の前に完全な者、神によって義と認められる者として復活することになるのです。これほどの祝福があるでしょうか。永遠のいのちとは、いつまでも続くという長さを表しているとともに、完全ないのちを宿すものとしてくださるということです。
祈り
天の父なる神様、あなたのお恵みは計り知れないものです。ダビデは、詩編23編の終わりのところで、神の家で、永遠に神とともに住むことを語りましたが、それは義とされ、キリストと同じものとされているからこそ神の家に住むことができることを望みつつ述べたものでした。あのダビデの祈りは、イエス・キリストにあって、私たちにも同じく実現されていくことを覚えて感謝いたします。主にあって、あなたの恵みと希望を抱きつつ歩むものとならせてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。

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