主の御名をほめたたえる

わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。
私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン(新改訳)

ローマ人への手紙9章から11章までのところで、パウロはイスラエルについて説明しています。救いはユダヤ人にも異邦人にも、ただキリストを信じる信仰によってのみ、同じく救われることが出来る」と宣言した今、パウロはその説明の中で、ユダヤ人がなぜ福音に背を向けたのかを説明するのです。

「神の民イスラエルとメサイアとの関係はどうなるのか。神の救いの約束はどのようにして実現されてきたのか。について記していきます。それは一言で言えば、「古い契約がキリストにあって成就した」ということです。

使徒言行録23章12節以降を見ると、ユダヤ人は大勢が徒党を組んで、「パウロを殺してしまうまでは飲み食いしない」と誓い合ったことが記されています。ユダヤ人たちの多くがパウロに対して強い反感を持つようになったのは、彼らが、「パウロは神殿に対し、またモーセの律法に対して反対している。パウロはユダヤ教を駄目にしようとしている。」と考えたからです。(使徒言行録21章28節、24章6節、18章13節、25章8節を参照)。

神はユダヤ民族を祭司の王国として選び、ユダヤ人のみならずあらゆる国の人々に神の救いをもたらす器となるように導かれ、時満ちてイエス・キリストを救い主として遣わしてくださったのにもかかわらず、ユダヤ人たちは主イエスを受け入れようとはせず、キリストの福音を伝えるパウロに対しても、パウロはユダヤ教を裏切り、ユダヤ教に敵対するものだと理解されていたようです。

今日のみ言葉には、このようなユダヤ人たちに対する深い嘆きがあります。そして、「わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。」というのです。ユダヤ人たちが、キリストを信じて救われることを彼は切に願っていることが分かります。

パウロと同じ祈りをモーセにも見ることができます。「モーセは主のもとに戻って言った。「ああ、この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください。」(出エジプト32:31~32)

自分の命が失われても同胞のいのちが救われるようにとの祈りは、イエス・キリストのゲッセマネの祈り、そして十字架においても見ることができます。

祈り

天の父なる神様、あなたはアブラハム以来のイスラエルの民を選び、その契約に忠実に彼らを導き、約束に基づいて救い主を与えてくださいましたことを心より感謝いたします。アブラハムの子孫によってすべての民が祝福にあづかるようになるという約束はイエス・キリストによって成就されましたが、今は異邦人である私たちもその約束が完成する日を待ち望みつつ、同じ救いの恵みにいれられていることを感謝いたします。
主の受難と復活を覚えていくレントの期間を迎えていますが、救い主が来られた意味を自分のこととして受け止め、主にあって生きる者とならせてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。

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