互いに祈り合い、助け合う

しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。ローマ15:25~28
ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために献金することにしたからです。彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。(新改訳)

パウロは、異邦人に福音を伝えるという使命を神によって与えられましたが、彼の心には、ユダヤ人、とりわけエルサレム教会に対する思いを強く抱いていたことが分かります。彼は、エルサレムの教会のクリスチャンたちの窮乏を聞くにつけ、彼らを助けることは異邦人教会の責任であるという自覚がありました。

主イエスの使徒たちを始め、多くのユダヤ人クリスチャンたちがエルサレムの教会に集っていましたが、ユダヤ人たちからの迫害も厳しく、各人の生活も困難な状況にありました。しかし、ユダヤ人に福音を伝えるためにはエルサレムの教会はなくてはならないものでしたし、ユダヤ人と異邦人の教会が共に祈り合い、助け合うことの必要をパウロは痛感していました。

それで、彼は、異邦人の教会からの献金をいただいて、それをエルサレムの教会に届けようとしているのです。今なら、銀行口座に振り込むという方法で送金することも出来ますが、パウロの時代にはそうしたシステムはまだ整備されてはいませんでした。また、他の誰かに頼むよりも、彼は自分でエルサレム教会の人たちに出会って手渡したいという思いも強かったに違いありません。

この献金はかなりの大金であったために、確実に相手に渡るためにも、パウロは自ら責任をもってこの務めを果たしたいと願ったことでしょう。しかし、この旅は、パウロを殺そうと企てているユダヤ人がいることもすでに分かっていましたから、非常にリスクの高い旅になることを覚悟してのことでもありました。

違いを超えて一つになることの大切さを教えられます。

祈り

天の父なる神様、あなたが私たちに与えてくださった福音の恵みは、すべてユダヤ人を通して与えられました。しかし、彼らは預言者たちに聞こうとしなかったばかりでなく、旧約聖書が証ししていた約束のメシア、御子イエス・キリストがもたらしてくださった福音をも拒絶して、今日では主イエスが言われたように世界中の異邦人たちに与えられるようになりました。
クリスチャンの中にも様々な教派が生まれてきましたが、イエスをキリストであると告白することが出来るのは御霊によることですから、主の霊に導かれたすべてのものがお互いを尊びつつひとつ思いをもって、互いに祈り合い、助け合ってあなたの栄光を表すことができますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。

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