聖書の福音とは?

福音とは、「良い知らせ」グッドニュースです。
私たちは、毎日のように新聞やテレビなどを通して悪いニュースを耳にします。
世界的な経済危機、リストラ、いじめ、自殺、悲惨な事件など暗いニュースばかりで心も暗くなってしまいます。

しかし聖書は、私たちに良い知らせを伝えています。
それが「福音」グッドニュースです。
福音とは、良い知らせという意味です。

画像の説明

何が良い知らせなのですか?
聖書の伝える良い知らせとは、「神があなたを愛しておられる」ということです。

どれほど神は私たちを愛しておられるのでしょうか。
神は、ご自分の最愛のひとり子『イエス・キリスト』を十字架におかけになるほどに、私たちを愛しておられると聖書は教えています。

キリストは、私たちの罪のために、十字架で死なれ、葬られ、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられました。
このキリストを信じる者は、『誰でも救われる』というのが福音です。誰でもです。

聖書にこう書かれています。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ5:8)

「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
」(Ⅰヨハネ4:9-10)

なぜキリストは十字架につけられたのですか?

聖書は、「キリストは、私たちの罪の身代わりとして十字架につけられた」と教えています。
「十字架」は、当時の処刑の道具でした。しかも、極悪人がつけられるものでした。
聖書は、キリストは罪を犯したことがなく、
その口には何の偽りも見出されなかったと証言しています。

それなのに、なぜ十字架につけられる必要があったのでしょうか?
歴史的な事実としては、ユダヤ人たちの「ねたみ」によって、ローマ兵たちに引き渡され十字架につけられました。

しかし、十字架には、それ以上の私たちの命にかかわる意味があるのです。
それは、私たちを罪から救うための『神の方法』だったのです。

聖書にこう書かれています。
「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」(Ⅱコリント5:21)

罪とは何ですか?

聖書の言う罪とは、私たちを創造し、日々私たちを生かし養っていてくださる神に背くことであり、「的はずれ」(あるべき姿から離れている)のことです。

聖書は、「すべての人は神から離れた状態である」と教えています。
人は、親からウソのつき方を教えてもらったことがないのに、物心ついた頃には、上手にウソをついてしまいます。
なぜなら、人はみな生まれながらに「罪の性質」をもっているからだと聖書は教えています。

ですから、誰から教わらなくても罪を犯してしまいます。
罪を犯したから罪人なのではなく、罪人(もともと罪の性質を持って生まれてきた者)だから罪を犯してしまうのです。

旧約聖書において、ダビデは次のように自分自身のことを告白しています。
「わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。」(詩篇51:7)
聖であり、正義である神を知り、この神の前に出るとき、私たちは自分自身の罪の姿に気付かされるのです。

聖書には次のようにも書かれています。
(罪のリスト)
「人から出て来るものこそ、人を汚す。

中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、

これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」」(マルコ7:20-23)

「「正しい者はいない。一人もいない。
悟る者もなく、/神を探し求める者もいない。
皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。」(ローマ3:10-12)

「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています」(ローマ3:23)

 「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」(ローマ6:23)

なぜキリストだけが救いの道なのですか?

 それは、「キリストは私たちの罪の身代わりとして死なれ、死人の中よりよみがえられたからです。」つまり、わたしを罪と死の中から救い出すために、十字架にかかってくださり、復活してくださったからです。

世の中には多くの宗教があります。みな自分たちが正しいと主張します。
しかし、残念ながらいかなる宗教も、人を罪から救うことはできません。

精神的な拠り所や御利益はあるかも知れませんが『罪の問題』は解決できないのです。
残念ながら、人の努力や工夫、修行などによっては、罪と死の問題を解決することはできないのです。そのために神の方から救いの道を開いてくださっているのです。

宗教的な行為や儀式、また善行が人を罪から救うのではなく、
ただ『イエス・キリスト』だけが人を罪から救う力があるのです。

なぜなら、キリストは私たちの罪の身代わりとなって十字架で死なれ、死人の中よりよみがえられたからです。
もしキリストが死んだだけなら、彼も偉大な宗教家のひとりでしかありません。
私たちの罪は残ってしまいます。

しかし神は、『キリストを死人の中よりよみがえらせること』によって、キリストが『神の御子』であることを証明してくださいました。

ですから、この十字架につけられたキリストを信じる者は、誰でも『罪から救われる』のです。
救いは、行いによるのではなく、
『キリストを信じる信仰によってのみ』であると聖書は教えています。

イエス・キリストの救いを信じて、キリストが私たちを愛してくださったように、互いに愛し合う者となるように励もうとするのがクリスチャンです。

「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。」(ヨハネ5:39-40)

「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)

「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、
私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」(ローマ4:25)

「イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」(ヨハネ11:25-26)

どのようにキリストを信じるのですか?

それは、先ずは知ることから始まります。
あなたが住んでおられる近くに教会があれば、牧師と連絡をしたり、礼拝に出席するなどして、聖書の基本的なことを教えてくださるようにお願いしてはどうでしょうか。

あなたがお住まいの場所と、「教会を紹介してください」というメールをいただければ、キリスト教会をご紹介することもできます。

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(黙示録3:20)

あなたが求めるお気持ちを持って求めるならば、神様は必ずその道を開いてくださいます。

静岡教会では、定期集会のほかに、ご希望の方に合わせて、入門講座やカウンセリング
を行っています。

どうぞお気軽にお越しください。
あなたの人生に神さまの祝福が豊かにありますように。